仕事の依頼のほとんどすべてがそうであるように、今回も一本の電話から始まった。
受話器から、希求するプログラム(機能)と規模と予算といった要件のみが早口で伝えられ、まずは来てほしいと言いそのまま電話は切れた。電話の向こうで、受話器をおいた後、足早に診療に向かうその医師の後ろ姿だけは想像できたけれど、どのような建築となるか、プログラムと規模から判断することができたのは、やりかけていた仕事に向かい一段落したその後だった。
宮崎県えびの市。かつては温泉街として隆盛を極めていた名残が街のいたるところに傷跡のように刻印され、その当時の賑わいの輪郭のみを記述していた。
人が生まれやがて老いていくように、街もまた時代の潮流に依り変容することを歴史がそれを語る。ただ、成長の過程を経済的な側面のみで捉えてはならない。持続可能な社会形成への医療参加の在り方に医師は誠実に向き合い、この「多目的ホール」は地域に開かれた拠点となることが求められていた。
規模は20坪平屋建て。室内と連続するテラスを含めても24坪にも満たない。
講演や集会等を行うための部屋と水廻り設備がそれに付属されただけのまさに一室空間となる。
「一室空間の中で多様な空間の質を現出させるためにはどうしたら良いか。」
ここでの取り組みにおける課題はこの一点のみに収斂するものだった。
そこで、表層的操作に陥ることなく、実直に「光」によって多様な空間の分布を生み出すことを主題とすることとなった。具体的に記すと、南面に向けられた高窓は太陽の動きに依って時々刻々と空間に表情と運動を与え、北面屋根に設けたトップライトは安定した光としてキッチンカウンターに静寂な場を設える。また木ルーバー越しの光はむしろ影の存在を自覚的なものとした。
そしてここ訪れる地域住民の方への語らいを目的とし設置したキッチンカウンターはその存在ゆえに、この空間に強い磁場を与えることとなった。
完成を迎えた日の夕刻、小さな手作りの宴がはじまる。そこには施主である医師や工事関係者、そして職人さんが大きなテーブルを囲んでいた。難儀な仕事であったにもかかわらず、皆の顔は心からやさしく穏やかで、いま終えたばかりの工事での出来事が遠い昔の思い出話のようにテーブルの上を交錯していた。そしてここに発現したコミュニティの持つ親和性は、今後ここで行われていくであろう物語のかけらを容易に連想させるものだった。
一足先に宴をあとにした僕はセンチメンタルな感傷に引きずられるようにしてもう一度振り返る。
高窓からこぼれる光は行灯のように街を灯し、ルーバー越しに人の影が動く。
すぐ傍らにある線路が静かに唸り、まもなく電車が通過することを伝えていた。